パパと遊んでいるうづし夫
記事を書くことにもだいぶ慣れてきたので、今日から数日、ずっと書きたかった愛犬のことを書こうと思います。
愛犬とのお別れを経て、感じたこと、学んだことがたくさんありました。
そして今現在、ペットロスと向き合っている父のことも。
きっと、ペットロスで苦しんでいるひとってたくさんいると思うんです。
そして、どうしたらいいのかわからないひとも。
もしこのブログを読んで、同じようなひともいるんだって思って貰えたら。
長くなりますが、お付き合いくださると嬉しいです。
父はすごく真面目なひとだけれど、私の人生に何ひとつ口出しをしないひとでもあります。
それがたとえ、少しばかり常識から外れていても、少々破天荒でも、反対されたことは一度もありませんでした。
それと同時に、父自身が娘である私の枷になることや、父のために私が何かを犠牲にしたり、無理をしたりすることを極度に嫌がるひとでもありました。
愛犬うづし夫が歩けなくなり、立てなくなり、そして寝たきりになってから、ほぼ24時間で介護しているということを知ったのは、父が心身ともにかなりボロボロになってからでした。
一か月ほど、父は一人でうづの介護をしていたんです。
札幌と千葉で離れているとはいえ、何故もっと気にしてあげられなかったのか・・・
当然、悔やみました。
旦那さまに相談して、実家に帰省することを相談すると快く了承してくれたので、父へ報告。
「来なくていい。おまえにはおまえの生活があるんだから」
そう言われたけど、やはり父のことが心配だったので10日間の予定で札幌に向かいました。
もしかしたら、うづを看取ることになるかも知れないから、そうなったらもう少し実家に居ることになると思う、と旦那さんには伝えてありました。
うづは、私がずっと犬を飼いたい飼いたいと言っていて、そんな折に父が柴犬のブリーダーさんからお話しを頂き、譲ってもらった子です。
うづし夫、という名前は私がつけました。
私のことをママだと思っているうづし夫は、実家を出てからも私が遊びにいくと、車の音で私に気づき、必ず玄関まで迎えに来てくれました。
子犬のころのうづし夫。まだ片耳が立ってません。かわいいね。
千葉へ引っ越しをする昨年の9月ころには、もうかなりボケが始まってきていて、目もほとんど見えていませんでした。
まだお散歩はできたのでお散歩に行くと、あちこちぶつかって歩くうづし夫。
おうちがどこなのか忘れてしまって、玄関の前を何度も通り過ぎるうづを見たときは、ショックだったし凄く悲しくなりました。
ああ、お別れのときは刻一刻と近づいてきているんだな、と、思ったことをよく覚えています。
お正月に帰省したころくらいから歩けなくなってきてはいたものの、それでもまだ自力で立ち上がることはできていて、ふらふらしながらもおしっこは自分でできていました。
頭を撫でると、ぼんやりと焦点の合わない目でこちらを見つめるうづし夫。
きっともう私のことも、父のこともわからなくなっているんだな、という様子でした。
ゼェゼェ苦しそうにしているうづに、
「だいじょうぶだよ、うづー。そばにいるからね」
「痛いねえ、つらいねえ、うづは頑張り屋さんだねえ」
と声をかけながら、何度も何度も撫でていました。
私のことがわからなくても、触れる手の温もりから愛情はきっと伝わるはずだ、と思って。
人間も犬も、同じだって、そう思いながらずっとうづに触れていました。
16歳という高齢に加えて脾臓を悪くしていたうづは、消化がうまくできなくなっていて、最期の2ヶ月は自分でごはんもお水も口にできなくなっていました。
固形物が食べられないので、栄養価の高いペースト状のフードをさらにミキサーにかけ、アクエリアスでうすめてドロドロの状態にし、シリンダーを使って強制飲食をさせていました。
1日に150ml食べれば良いほうで、調子の悪い時には吐いたりもしていました。
2月上旬に、看取るつもりで帰省したときにはもう支えがないと立てず、ボケなのか要望なのか、なにか伝えようとしているときにウオォォォン!と鳴きます。
そのたびに、うづを抱き上げて外まで連れて行き、支えながらうづの好きなようにさせる、を繰り返していました。
「きっと、うづなりに何か気に入らなくて鳴くんだろうねえ」
「寝たきりなのが気に入らないんだろうね、歩きたいよね」
「うづはお外が大好きだもんね、行きたいよね」
自分の涎さえ飲み込めなくなっているうづ。
抱き上げても手足はだらんと垂れ下がったままのうづ。
お外に出してあげると、それでも歩きたくてなんとか歩こうと、手足を動かすうづ。
私も父も、泣きながらそんなうづを支えていました。
それが正しかったのかどうかはわからないけど、歩きたいとうづが思って動いている間は、少しでも歩かせてあげたいと思ってました。
大変だったけど、父も私もできるだけうづの希望に応えてあげたくて、ああだろう、こうだろうとうづのことを考えていました。
何よりうづのことが大好きだったし、可愛かった。
この時にはもう完全に24時間体制の介護をしていました。
あしたに続きます。
記事を書くことにもだいぶ慣れてきたので、今日から数日、ずっと書きたかった愛犬のことを書こうと思います。
愛犬とのお別れを経て、感じたこと、学んだことがたくさんありました。
そして今現在、ペットロスと向き合っている父のことも。
きっと、ペットロスで苦しんでいるひとってたくさんいると思うんです。
そして、どうしたらいいのかわからないひとも。
もしこのブログを読んで、同じようなひともいるんだって思って貰えたら。
長くなりますが、お付き合いくださると嬉しいです。
ペットは家族
父はすごく真面目なひとだけれど、私の人生に何ひとつ口出しをしないひとでもあります。
それがたとえ、少しばかり常識から外れていても、少々破天荒でも、反対されたことは一度もありませんでした。
それと同時に、父自身が娘である私の枷になることや、父のために私が何かを犠牲にしたり、無理をしたりすることを極度に嫌がるひとでもありました。
愛犬うづし夫が歩けなくなり、立てなくなり、そして寝たきりになってから、ほぼ24時間で介護しているということを知ったのは、父が心身ともにかなりボロボロになってからでした。
一か月ほど、父は一人でうづの介護をしていたんです。
札幌と千葉で離れているとはいえ、何故もっと気にしてあげられなかったのか・・・
当然、悔やみました。
旦那さまに相談して、実家に帰省することを相談すると快く了承してくれたので、父へ報告。
「来なくていい。おまえにはおまえの生活があるんだから」
そう言われたけど、やはり父のことが心配だったので10日間の予定で札幌に向かいました。
もしかしたら、うづを看取ることになるかも知れないから、そうなったらもう少し実家に居ることになると思う、と旦那さんには伝えてありました。
うづは、私がずっと犬を飼いたい飼いたいと言っていて、そんな折に父が柴犬のブリーダーさんからお話しを頂き、譲ってもらった子です。
うづし夫、という名前は私がつけました。
私のことをママだと思っているうづし夫は、実家を出てからも私が遊びにいくと、車の音で私に気づき、必ず玄関まで迎えに来てくれました。
子犬のころのうづし夫。まだ片耳が立ってません。かわいいね。
千葉へ引っ越しをする昨年の9月ころには、もうかなりボケが始まってきていて、目もほとんど見えていませんでした。
まだお散歩はできたのでお散歩に行くと、あちこちぶつかって歩くうづし夫。
おうちがどこなのか忘れてしまって、玄関の前を何度も通り過ぎるうづを見たときは、ショックだったし凄く悲しくなりました。
ああ、お別れのときは刻一刻と近づいてきているんだな、と、思ったことをよく覚えています。
愛犬はいつか老犬になる
頭を撫でると、ぼんやりと焦点の合わない目でこちらを見つめるうづし夫。
きっともう私のことも、父のこともわからなくなっているんだな、という様子でした。
ゼェゼェ苦しそうにしているうづに、
「だいじょうぶだよ、うづー。そばにいるからね」
「痛いねえ、つらいねえ、うづは頑張り屋さんだねえ」
と声をかけながら、何度も何度も撫でていました。
私のことがわからなくても、触れる手の温もりから愛情はきっと伝わるはずだ、と思って。
人間も犬も、同じだって、そう思いながらずっとうづに触れていました。
16歳という高齢に加えて脾臓を悪くしていたうづは、消化がうまくできなくなっていて、最期の2ヶ月は自分でごはんもお水も口にできなくなっていました。
固形物が食べられないので、栄養価の高いペースト状のフードをさらにミキサーにかけ、アクエリアスでうすめてドロドロの状態にし、シリンダーを使って強制飲食をさせていました。
1日に150ml食べれば良いほうで、調子の悪い時には吐いたりもしていました。
2月上旬に、看取るつもりで帰省したときにはもう支えがないと立てず、ボケなのか要望なのか、なにか伝えようとしているときにウオォォォン!と鳴きます。
そのたびに、うづを抱き上げて外まで連れて行き、支えながらうづの好きなようにさせる、を繰り返していました。
「きっと、うづなりに何か気に入らなくて鳴くんだろうねえ」
「寝たきりなのが気に入らないんだろうね、歩きたいよね」
「うづはお外が大好きだもんね、行きたいよね」
自分の涎さえ飲み込めなくなっているうづ。
抱き上げても手足はだらんと垂れ下がったままのうづ。
お外に出してあげると、それでも歩きたくてなんとか歩こうと、手足を動かすうづ。
私も父も、泣きながらそんなうづを支えていました。
それが正しかったのかどうかはわからないけど、歩きたいとうづが思って動いている間は、少しでも歩かせてあげたいと思ってました。
大変だったけど、父も私もできるだけうづの希望に応えてあげたくて、ああだろう、こうだろうとうづのことを考えていました。
何よりうづのことが大好きだったし、可愛かった。
この時にはもう完全に24時間体制の介護をしていました。
あしたに続きます。

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