愛犬うづし夫が虹の橋のたもとに旅立ってやってきたのはペットロスという現実でした。
父がそうなることはある程度予測していましたし、覚悟もしていました。
どうやったらペットロスを乗り越えられるんだろうとネットを色々検索したりして、その時に備えておこうと思っていたのですが、現実的な方法?のようなものはなかなか見当たらず、そうこうしている間にうづは旅立ちました。
当然、私も悲しみに暮れていたので実家に滞在中は父とうづの話をたくさんしました。
あの時はこうだったね、こんなこともあったね、と。
乏しい知識で調べた「虹の橋のたもと」の話を父にして、だから今うづは元気で走り回ってるよ、と説明をして、それと同時に自分自身も少しづつ回復していけたのだと思います。
けれど、私にも家庭があり、いつまでも札幌の実家に居ることはできません。
千葉に戻ったあと、一人になった父が心配でした。
ペットロスになってしまったら?
千葉の自宅に戻ったあと、今までメールのやりとりなど連絡事項しかしてこなかった父と、日に10通を越えるやりとりを今もほぼ毎日しています。
生活そのものにぽっかりと穴の空いてしまった父に、「もううづはいないんだよ、だから現実と向き合いなよ」と言うことが、到底正しいことだと思えませんでした。
そもそも、私だって悲しいし寂しいんです。
ネット上によく書いてある、「亡くなった愛犬の思い出話を誰かと共有しましょう」というものも、一人暮らしの父には難しいと思いました。
もちろん私がメールでやりとりはできますが、そばに居てあげられないのでいつもというわけにはいきません。
「時間が解決してくれる」
これも正論ですが、定年を迎え、ずっと家に居る父がただ毎日落ち込んで生活することもあまり良いと思えませんでした。
「毎日散歩の時間になると辛くなる」
と言う父に、私は散歩を勧めました。
「うづと散歩に行ってきたら?」と。
うづのお骨を持って、散歩に行って来たらいいよ、と。
その代わり、四十九日までね、四十九日が過ぎたら、うづをちゃんと成仏させてあげないといけないから、四十九日までは一緒に散歩に行って来たら?
これが父はとても嬉しかったようです。
毎日3回、うづと散歩に行っています。
”今日は、雪が降ったからうづが濡れてしまわないように散歩用のバッグを買ってきたよ。”
”散歩中に近所の○○さんに会って、うづのことを聞かれたから話をしたら、香典を持って来てくれたんだ。”
”○○さんのところの奥さんが、うづちゃんに、ってお花をくれたよ。”
悲しいだけだった父のメールの内容が、少しづつ変わってきました。
うづのお骨と散歩をする、というやらなければいけないことが出来たことによって、父の生活に少しだけ意味が出てきたのではないかと思いました。
ペットロスとつきあっていくことにした
ペットロスは、克服するものでも、立ち向かうものでもないんじゃないのかな、そう思っています。
ただ、依存してしまうのはやっぱり良くないな、と。
四十九日になったら、うづを永代供養してこようと思っています。
うづのお骨とのお散歩も、四十九日まで、と事あるごとに言葉にしたのはそのためです。
何かの区切りは必要だと思ったし、それまでに少しづつ気持ちの整理もつくかも知れないと。
思い出して悲しくなるのなんて当たり前のこと。
だって、愛犬は家族なんだもん。
テレビに柴犬が映るたびにうづを想って涙して、位牌に手を合わせて涙ぐんで、そんなの普通だと思います。
早く立ち直れ、いつまでもそんなんじゃダメだとか、そんな急かさなくてもいいじゃない。
悲しみは癒えることは無いし、忘れることなんてできないんだもの。
そう思っています。
もちろん、人それぞれです。
すぐに次の家族を迎えることが悪いことだとも思えないし、もう2度と犬は飼えない、というのもおかしくないです。
人それぞれです。
最後までご主人様のもとで、最後のその時までご主人様に愛された愛犬のことを忘れてしまう飼い主なんているわけないじゃないですか。
ペットロスになってもいいじゃない。
あしたは、父と私がしている供養について書こうと思います。

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